傷が好き


灰羽連盟』を観た。あらすじは興味のある方が検索してください。

 

 レキが好き、という一言に感想は尽きる。作品世界(オールド・ホーム)に生まれて間もないラッカにおもて向きは甲斐甲斐しく世話を焼きつつ、内心では勝手にその行いを自分の罪滅ぼしの為の「賭け」に見立てるなどの身勝手さが殊に好きである。自分のなかに、他人に容易に理解されがたい(と信じ込んでいる)傷を負っている人間は、往々にして自分勝手なルールだとか相手へ何かしら願望を投影したりと、しばしば他人からは不可解な行動を取る、そのリアリティを感じていた。そして、一時期はラッカが自分とおなじ病にかかったことから、さらに同情(同化)を深めながらも、そのラッカが物語を通じて病が癒えた途端、また自分の殻に閉じこもってモノローグするあたり、堪らないものがあった。自分語りを眼前に観ているみたいだと思っていた。
 だからこそ、尺の都合であっさりと解呪してしまったのが個人的に残念だった。あと何話かかけて、内心の出口のなさと、ひとまえで健気に送りつづけなければならない日々の落差みたいなものを突き詰めて欲しかった。何なら別に救われなくてもよかった。物語はいつも、それを信望する側にとっては、何やらロマン的な「救済」っ、てな感じで気分の高揚に欠かせないのだろうが、たいがいは単に常識に寄り添った保守的な位置に落とす為の定型に過ぎない、ということを確認するような結果になってしまった(そう思えば後年に出てきたまどマギの映画はよかったね、ということになる)。

 

 傷が好き。年下の男でないと好きになれない、とか15歳以下の女に対してしか欲情できない、といった意識の構造とたぶん相似で。他人に近づこうとする際に、半ば無意識に相手の傷の深度を測る癖がいつしか染みついてしまった。換言すれば世界との距離感とわたしが思い込んでいるしるしを。

  世間的には、いい歳した大人がっ、とぴしゃっと割り切るべき事柄だろう。どんなあなたもわたしではないのだから。

 

 いまのところ、そうした良識に舌を突き出すくらいの余裕は残っている。

 じゃあな。