いちばん好きな曲は「バーモント・キッス」だけど

 家庭環境の変わる高校三年生までは正月を家で過ごしたことがなかった。一度もなかったと思う。いつからはじまったかは知らないがものごころついた時分には、夏と年末年始の年二回、山口県某市の宿、というかいまでいう国民宿舎みたいな場所に、3泊四日ほどを過ごすのが習慣だった。父方の祖父母もいた。ていうか、そっち側の主導だったんじゃないか、といまなら思う(母はこの習慣を内心嫌がっていた)。三つ子の魂なんとやら、恐ろしいもので上京してからは年始になるたびに長野まで中央線でどろどろ曳かれてゆくのがすぐに習わしになってしまった。周期的なたましいの洗濯とでも言うか、友人のひとりにそうと称して長期休暇のたびに南のほうへ旅行しては海に潜っているやつがいる。

 

 いまは夏。
 子供の頃、炭酸が飲めなかった。幼少期によく遊びに行っていた家庭の年上の子がかなり背が高くて、よくコーラや三ツ矢サイダーを飲んでいた。周囲からは、牛乳を飲まないから(牛乳も苦手だった)、おまえは背が伸びんのよ、と言われていたけれども、たまに自分のからだがちいさいのは炭酸を飲まない所為なんじゃないかと思っていた。が、小学生の頃だったと思う。年二度の習慣的に行く旅行をした夏に、ふとした拍子にクリームソーダを飲みたい、と思った。青色に惹かれたのか。それともメロンクリームソーダだったのか、いまでは詳しくおぼえていない。バニラアイスが絵の具のように鮮やかな色に沈んで、ゆっくりと混ざり、炭酸がやわらかくなるのが好きだったのかもしれない。それで大人のキブンだったのか。そういうしだいで、年に一度だけ、クリームソーダを大量に飲む期間がしばらくのあいだ存在した。あまりにも注文するので、アイスクリームが二個に増量されたりしたときもあった(子供ごころに、こういう瞬間はうれしいのでいつまでもおぼえている)。
 結局、いつからか飲まなくなってしまっていたけれど。そして背も伸びなかったので、平均よりは小柄なからだに収まってしまい、非-地球の歩き方じみた旅行をまれにする趣味だけが残った。

 

 そういう記憶が、相対性理論の「ウルトラソーダ」を聴いたときに甦った。

 

 

天声ジングル

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