本当はタルコフスキーがさほど好きでもないんだ

 

 Tさんに借りた『灰羽連盟』を、あと一巻で観終わるのでそれについて書こうという心づもりだったけれど、さっきまで寝ていたので次回に預ける。昨晩はタルコフスキーノスタルジア』を観て疲れたし。

 一応、タルコフスキー映画について扱った本まで読んだのだが、いざ視聴となると、個々の映像のつよさに考えるちからを失くして、ぼんやりと佇んでしまう。自分が、タルコフスキーが好き、という漠然とした思い込みを抱えているのは、『アンドレイ・ルブリョフ』とか『ストーカー』とかが、それなりに面白かった所為だ。どちらも自宅以外の場所で観た。自宅で映画を観るのは嫌いじゃないが、落ち着かない。酒でも飲みながらでないとやってられない。ハンドスピナーでも弄ればいいのかもしれない。自宅で何本も映画を観ることができる人間は尊敬する。

  

 某詩の雑誌が手元にあり、いま新人の投稿欄を務めている詩人のひとりの詩風がそれなりに好みだからという理由で、先月の詩の会のために書いた詩を投稿することにした。二十字詰めの字数制限とか、就職活動さながら封筒に宛名を書くとか、それだけで気力の悉くが削がれた。我こそは、と投稿しているひとは毎月こんな重労働をこらえていたのかと思うと感心する(わたしにはちょっと無理そう)。

 休日でも空いている郵便局まで徒歩30分くらいある。雨が降り出し、それなのに財布と封筒をそのまま手に持って外出した所為で、ビニル傘を掲げていても、封筒がみるみる濡れて宛名が滲んだ。スーパーに立ち寄ってお菓子を買って、いちばんおおきいビニール袋をもらった。自分は馬鹿だと思った。

 

 常磐線沿いに歩く際に、わざと知らない道を歩いた。背の高い草が線路沿いに繁り、異界への入口みたいに、高架下の狭いトンネルが、向こうから洩れるぼやけた光を伝えている。殆ど空き地同然の駐車場で、京都ナンバーの銀色の高級車が雨ざらしになっていた。住宅街は入り組んでいて、幾つもの袋小路に行き当たった。

 

 郵便を出した。簡易書留にすると500円以上かかった。それだけでも苦痛があった。金がない所為だ。

 

  たしかにひととき、まともな生活を放棄した状態が続いたけれど、最近は正常に生きようと思っている。が、実際には常道に復帰するまでにはながい時間がかかるらしい。或いは、人並みの生活ができるようになるまえに、またぞろ衝動ではかない均衡をぶち壊してしまうのかもしれない。死ぬまで余裕ある生活を知らないままかもしれない。世間にはまともであるような顔を繕いつつ。ひとりで生きていると、「死なない」以上に自分を生かす理由があまり思い浮かばない。どうすればいいのやら。

 

 あー。救われたい……。

 

 

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