光、再考

 嗜好、と呼ぶにはいささか頼りないものの、部屋の光量にはささやかな執着がある。はやい話、わたしは白色蛍光灯の光が苦手である。明るいほど駄目だ。まず目に痛い。人伝に聞いたところでは自律神経の不調というが、どうだか。

 

 部屋の光量について理想の建物を挙げるなら目黒の東京庭園美術館の旧館だ。別名、朝香宮邸。
アールデコ調の、柱、家壁、鈍い光沢を放つ調度品の数々、お伽の国の植物のような模様を刻まれた硝子、部屋ひとつを巨大な香水噴出器で埋め尽くしてしまう、何とも庶民には至らない豪気な着想、それでいて(記憶が確かなら)足音を深々と吸い込んでくれるボルドーのカーペットの敷かれた階段を昇った先にある、書斎やその他部屋はあくまで生活空間として程よい大きさに設計されて、ついちょっとばかし散らかしてみたくなる(たぶん使用人が片付けてしまうのだが)。セントラルヒーティングも、今日においては懐古趣味と童心を二重に掻き立ててくれる。
 だが、何よりも繰り返し思い出すのは、広大な部屋々々を照らす橙色のぼんやりとした光だ。目を射すことなく、そして建物をけばけばしいものではなく、やさしくからだを包んでくれる重厚な空間として表現してくれる。宮家の人間がどれ程、わたしのような庶民と心情における類似点があるのか、まったくさだかではないが、ともかくその光が、ほかの著名な建物とは異なり、朝香宮邸を「暮らし良さそうな家」としてわたしの目に映すのに寄与していることは疑いない。わたしの家ってことになんねーかなー。
 ほかにはヴィスコンティの映画『ルートヴィッヒ二世』に登場した宮殿も印象的だった。政務のすべてを投げだし、暗く、心地よい寝室に収まるルートヴィッヒ二世の姿に、つい同類を目にしたときのような苦笑が浮かんでしまう。

 

 2017年7月29日は目立って何もしていない。昼は閉めたカーテンの隙間から射し込む光で本を読み、夜はデスクライトの橙色の光だけで本を読んだ(60Wでもやや目に眩しいくらいだ)。途中、雨のなか買物に出た。帰りに、自分の部屋を含むアパートの窓を見上げると、自分の部屋だけがカーテンの隙間越しに、燃えているように光っていた。消沈して過ごす為の光なんだが。

 キラキラと見栄えだけは結構な没趣味のモデルルームみたいな美感に惑わされることのないよう、自分にとって心地よい空間を作ることについては、いつかもう少し突き詰めて考えたい。