いつまでも子供のままで

  Syrup16gが『Copy』をリリースしてから16周年だと聴く。最近また『Copy』を頻りに聴くようになった。特に「She was the beauteful」と、「無効の日」を。時にはイヤホンを耳に突っ込んでいなくても聴こえる。気怠いイントロがつい脳裡に浮かぶ。

 

 仕事の研修の為とやらで福岡から上京していた友人Sと、秋葉原で落ち合った。神田の竹むら(Sの趣味だ。それにしてもあの一帯の旧い建物は趣きがあっていい。特に店内の光量の低さ)にはじまり、築地で鮨を立ち食いし、場内を散歩しているうちにさながらバイパスのような搬出路へと迷い込んだが、そのまま歩き抜けると浜離宮恩賜庭園の傍に出た。300円を払ってずるりと庭園に入り、木立の少ない庭園の縁に沿うようにだらだらと歩くと水上バスの乗船場へと行き当たった。「東京」で「水上バス」なんてミスチルみたいだ、と言い合いながら、目の前で出てゆく船を見送った。残りの船はあと一本。どうせ浅草に行く予定ならこいつに乗ろうや、とSが言うので、庭園めぐりは諦めてバスに乗った。船内では、ここは芭蕉が古池や~の俳句を詠んだ有名な場所です、とか、水上バスには120年の歴史がありかつてはポンポン蒸気船(宮崎駿風立ちぬ』のアレだ)の名で親しまれ~等々のアナウンスが絶え間なく流れていた。
 浅草の港に降りるとケルト笛(?)を吹く男が、殆どだれにもながく視線を注がれない空気のなかで、ひたすら目を瞑って演奏していた。その横を通り過ぎ、浅草寺の街道を横切り、ふいに見つけたライトオン(服屋だ)の看板に惹かれて入った小体なショッピングモールに故郷のような安心感をおぼえながら、Sが服を買うのを眺め、天婦羅を食べ、すこし飲んで別れた。

 最後はガストでSはビールを飲み、わたしは無料の水をちろちろ飲んでいた。Sは早くおっさんになって貫禄が欲しい、と言っていた。老いを怖れ、ある種の若さという幻像にじぶんを似せようとしている、わたしにはわからない感覚だった。学生時代は互いの目のちがいを意識することもなかったのに。

 

 家に帰ってすこしSkypeでKさんとお話したあと、また「She was the beauteful」と、「無効の日」を聴き、そして「水上バス」を聴いて(けっこういい歌じゃん、と思って)、眠った。

 

(起きたら、響け! ユーフォニアムの新作劇場版発表の由。ありがとうございます。)

詩について・対話篇(2017/05)

詩の会――正式な会名は「詩について・対話篇」は、古溝真一郎さんの主催により、隔月で書肆・逆光にて開催されております。経験者のみならず、詩をはじめて書くという方の参加も歓迎です(現に昨晩参加したふたりは初めて詩を書くというひとだった)。Facebookで参加者を募っていますが、ほかSNS上で声をかけてくださるのでも可です。

 

提出した詩を掲載したかったのですが諸事情あり、後日あらためて掲載致します。その際はご笑覧頂ければ幸甚。

巡礼の年

周囲に影響されて、これさいわいとブログを一新した。
以前もひそかに不定期でブログを書いていたのだが、ひとつひとつの記事を長くしてしまう悪癖の所為で程なくして年末以外は更新しなくなってしまった。なので今回は日記くらいの心もちで更新したい。またやり直しだ。

 

ブログの表題はリストから拝借した。
正式には、<Sunt lacrymae rerum/En mode hongrois>という曲名で、「巡礼の年」という独奏曲集に収められている。リストの20代から60代までに渡るあいだに印象的だった風景や経験を書き留めたものらしい、Instaglamに写真をリアルタイムでアップロードしたり、Facebookに旅行記を綴るような営みの音楽版といったところだろうか。

リストはそれを出版した。あらゆる角度から支えられて、その音楽はともかく西暦2000年をまたいだ現代でも猶、ひとびとに演奏されている。
この文章が日の目を見ることはたぶんないだろう。うつくしい旋律の為に書くのではないし。


一方で、ナポレオンの1809年の戦役に従軍した兵士たちの回想録――殊に兵卒の回想が歴史の色眼鏡、定型に侵されていない為に却って戦争のリアリティを伝えているという例もある(そこで描写されるナポレオンは「炯々たる眼光」の持ち主としてではなく、ただ屋根の上に望遠鏡を持って上がった元帥に大声で叫んでいるおっさんであったりする)、と、なんだか大げさな例えを持ち出したが、不定型なものを不定型なものとして書くという誠実さくらいは履行したいものだ。